アメリカ・ニューオーリンズの民家の庭で見つかったラテン語碑文入りの大理石板が、約1900年前にローマ帝国海軍の水兵「セクストゥス・コンゲニウス・ウェルス」を記念して作られた墓碑だったと判明しました。
How did a 2nd Century Roman headstone wind up in a New Orleans backyard? | Preservation Resource Center of New Orleans
https://prcno.org/how-did-a-2nd-century-roman-headstone-wind-up-in-a-new-orleans-backyard/
The mystery of how a 2,000-year-old Roman headstone wound up in a New Orleans backyard is solved | Preservation Resource Center of New Orleans
https://prcno.org/the-mystery-of-how-a-2000-year-old-roman-headstone-wound-up-in-a-new-orleans-backyard-is-solved/
A long-lost ancient Roman artifact reappears in a New Orleans backyard | AP News
https://apnews.com/article/new-orleans-roman-tablet-grave-0c68880b8f78fd2df546840b33d91cf3
2025年3月、チューレーン大学の人類学者ダニエラ・サントロ氏と夫のアーロン・ローレンツ氏が庭の下草を片付けていたところ、ラテン語らしき文字が刻まれた平たい大理石板を発見しました。石板が見つかったのはアメリカ・ニューオーリンズのキャロルトン地区にある歴史的住宅です。

サントロ氏はAP通信に対し、文字がラテン語で刻まれていたことに違和感を覚え、「これは普通のものではない」と考えたと述べています。サントロ氏は当初、家の下に忘れられた墓地があるのではないかと心配し、ニューオーリンズ大学の人類学者であるD.ライアン・グレイ氏らに連絡しました。ニューオーリンズには墓地の上に後から建物が建てられた例や、まだ発見されていない墓地があるためです。しかし、グレイ氏らはニューオーリンズ各地の墓地を特定・地図化する調査を行ってきたことから、「石板がこの家の下にある墓地に由来する可能性は低い」と判断しました。
グレイ氏は碑文の解読を進めるため、石板の写真をインスブルック大学のハラルト・シュタードラー氏に送りました。一方、サントロ氏も写真をチューレーン大学で古典学を研究するスーザン・S・ルスニア氏に共有。複数の専門家による確認の結果、この石板は紀元2世紀ごろに作られたローマ時代の葬送碑であり、「セクストゥス・コンゲニウス・ウェルス」という水兵を記念するものだと判断されました。
石板に刻まれている碑文の冒頭には、ローマの葬送碑で使われる「Dis Manibus(死者の霊へ)」という言葉が刻まれていました。続く部分には、ウェルスがトラキア人のベッシ族でローマ帝国海軍のミセヌム艦隊に所属していたことや、22年間軍務に就いた後に42歳で亡くなったことが記されています。また、ウェルスが医神アスクレピオスの名を持つ船で勤務していたことも碑文から読み取れたとのこと。そして、この石板が「アティリウス・カルス」と「ウェッティウス・ロンギヌス」というウェルスの相続人によって作られた墓碑であることが分かりました。ルスニア氏はAP通信に対し、「当時のローマ軍人は結婚できなかったため、碑文に出てくる相続人は戦友だった可能性がある」と説明しています。
さらに調査を進めると、この石板はイタリア・チヴィタヴェッキアの博物館から失われたものだと判明。AP通信によると、この石板は1860年代にチヴィタヴェッキアで発見された軍人墓地の墓碑群に由来するものだとのこと。碑文は1910年にラテン語碑文のカタログへ記録されており、石板は第二次世界大戦前の時点ではチヴィタヴェッキアの考古学博物館に保管されていました。しかし、チヴィタヴェッキアは1943年から1944年にかけて連合軍の爆撃を受け、博物館はほぼ全壊します。多くの収蔵品が失われ、博物館が再開したのは1970年になってからでした。
ルスニア氏がチヴィタヴェッキアの博物館を訪れて確認したところ、問題の石板は数十年にわたって行方不明になっていたことが分かりました。また、博物館側の記録に残る寸法は約1フィート四方(約30cm四方)、厚さ約1インチ(約2.5cm)で、サントロ氏の庭で見つかった石板の寸法と一致しました。ルスニア氏はこの一致を、「発見物が記録上の石板と同じものだと示すDNAのようなもの」だと説明しています。
石板をイタリアへ返還するため、グレイ氏らは盗難・略奪された文化財の返還に取り組むAntiquities Coalitionのテス・デイヴィス氏に相談しました。その後、FBI美術犯罪チームが石板を管理下に置き、返還手続きが進められています。ただし、返還手続きが動き出した時点でも、石板がどうやってイタリアからニューオーリンズの庭へたどり着いたのかは分かっていませんでした。
しかしその後、石板が見つかった住宅の前所有者であるエリン・スコット・オブライエン氏がニュースで旧宅を見たことで、石板の移動経路をめぐる謎の一部が解けました。オブライエン氏によると、当時の夫と2004年ごろに家を購入した際に庭に木を植え、「新しい家の始まり」として石板を庭に置いたそうです。オブライエン氏はこの石板をアート作品だと思っており、2018年に家を売却する頃には「自分が庭へ置いたことも忘れていた」とのこと。
石板はオブライエン氏が母方の祖父母から受け継いだものでした。祖父のチャールズ・パドック・ジュニア氏は第二次世界大戦中にイタリアに駐留した兵士で、戦時中に出会ったアデール・パドック氏と1946年10月14日にイタリアで結婚。オブライエン氏の年長の親族によると、石板は祖父母の家で他の品と一緒に展示ケースに置かれていたとのことです。
これにより石板がニューオーリンズの庭に置かれた経緯は分かりましたが、チャールズ氏が石板を購入したのか戦時中に記念品として持ち帰ったのかなど、イタリアからパドック夫妻の家へ渡った経緯は記事作成時点でも分かっていません。
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