「貧困とメンタルヘルスの問題は直接的に関連していて、貧困はより広範な健康格差の根底にある」と主張する論文を、スコットランドのストラスクライド大学健康政策センターのディレクターであるリー・ニフトン氏とウェスト・オブ・スコットランド大学の心理学講師であるグレイグ・イングリス氏が発表しました。
Poverty and mental health: policy, practice and research implications – PMC
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7525587/
貧困は雇用の喪失や社会的関係の崩壊によっても引き起こされ、社会的ストレスやトラウマを通じて子供時代や成人期のメンタルヘルスの悪化を引き起こす原因にもなり得ます。
論文によれば、最も貧困な地域に住む人々は裕福な地域の人々よりも明らかに高い精神的苦痛を報告しているとのこと。2018年の調査では、スコットランドの最も貧困な地域に住む男性の23%と女性の26%が精神障害の可能性を示す精神的苦痛のレベルを報告しているのに対し、最も裕福な地域では男性はわずか12%、女性は16%でした。この格差は自殺率にも反映されており、スコットランドの自殺統計によると、貧困地域では自殺が裕福な地域の3倍も発生しやすい状況だったそうです。
例えば、スコットランドのグラスゴー市は造船業や重工業の中心地でしたが、1980年代に英国政府が進めた急速な脱工業化政策により、多くの雇用が失われました。さらに、戦後の都市再開発によって、多くの住民が市外の新興住宅地に移転させられ、コミュニティのつながりが分断されました。この都市の変化は生活条件や社会的つながりに影響を与え、住民の幸福感や健康に悪影響を及ぼしました。
グラスゴー市では、所得の貧困、失業給付を受ける労働年齢の成人、低所得家庭で暮らす子供たちの割合が高く、住民のメンタルヘルスもスコットランドの平均に比べて悪化しているとのこと。ニフトン氏とイングリス氏は、「グラスゴーでの過剰な死亡率は自殺やアルコール・薬物関連の死といった『絶望の死』によって特徴づけられている」と論じています。
この研究結果は、歴史家のルトガー・ブレグマン氏が2017年にTEDで紹介した研究とも共通点があります。
ルトガー・ブレグマン: 貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である | TED Talk
https://www.ted.com/talks/rutger_bregman_poverty_isn_t_a_lack_of_character_it_s_a_lack_of_cash/
ブレグマン氏は「貧困は『人格の欠如』ではなく『金銭の欠如』である」というタイトルの講演で、貧困が人々の認知能力に与える驚くべき影響について言及しました。
アメリカの心理学者たちがインドのサトウキビ農家を対象に行った研究によると、収穫前の経済的に厳しい時期と収穫後の豊かな時期では、同じ人のIQテストの結果に大きな差が出たとのこと。経済的に厳しい時期にある場合、収穫後と比較してIQが約14ポイント低下したそうで、これは一晩睡眠を取らなかった場合やアルコール依存症の影響に匹敵する認知能力の低下だといいます。
ブレグマン氏は、この現象を「欠乏のメンタリティ」と呼ばれる理論で説明しています。人々は何かが不足していると感じるとき、それが時間やお金、食べ物であっても、行動パターンが変わり、長期的な視点が失われます。これは重いプログラムを同時に多数実行しているコンピュータが遅くなり、最終的にフリーズするのに似ているとのこと。つまり、貧しい人々が不適切な決断をするのは、彼らが愚かだからではなく、貧困という文脈の中で生きているからだとブレグマン氏は説いています。
ブレグマン氏は直接的な解決策として、食料、住居、教育などの基本的ニーズを賄うための定期給付金であるベーシックインカムを提案しています。実際にカナダで行われたベーシックインカムの社会実験では、住民の精神的健康が改善したという報告が挙がっています。
ベーシックインカムをもらっても人は仕事を辞めず健康状態は改善するとの調査結果 – GIGAZINE
一方、ニフトン氏とイングリス氏は論文の結論として、貧困とメンタルヘルスの問題に対応するために精神医学が取るべき三つのアプローチを提案しています。
第一に、社会精神医学を再活性化し公共政策に影響を与えること。イギリスやアメリカでは近年、社会精神医学が衰退し、精神的健康問題の社会的原因と結果に対する注目が逸れてしまっているという問題があります。今こそ、社会的不平等が増大している時代に社会精神医学を刷新する時だと両氏は主張しています。
第二に、交差的スティグマと不利益に取り組むこと。交差的スティグマ(intersectional stigma)とは、個人が持つ差別や偏見、社会的アイデンティティが重なり合い、互いに影響し合うことで、より複雑で大きな差別や不利益をもたらす現象を指します。精神疾患に対する差別や偏見が民族、ジェンダー、セクシュアリティ、貧困など複数の社会的アイデンティティと交差して影響が倍増する「交差的スティグマ」の研究と対策が必要だと、両氏は指摘しました。
第三に、貧困を意識した実践とサービス提供を組み込むこと。これには、給付金の受け方、借金の管理、地域の保育サービスへのアクセス、就労支援など、収入最大化計画を医療の重要な側面として提供し、低所得地域に焦点を当てたメンタルヘルスサービスへの主要な投資を行うことが含まれます。
ニフトン氏とイングリス氏は、貧困を単なる個人の問題や知識不足として扱うのではなく、社会構造的な問題として捉え、根本原因に対処する必要があると訴えています。
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