東南ヨーロッパのアルバニア共和国には、1960年代から1980年代にかけて75万以上のトーチカが建造され、今もその一部が残されています。
Land of the Giant Mushrooms: Albania’s 750,000 Cold War Bunkers
https://slate.com/human-interest/2013/09/land-of-the-giant-mushrooms-albania-s-750000-cold-war-bunkers.html
Cold-war Bunkers At The Ready In Albania Half A Million Dot The Land. Once Laughable, They Now Are Eyed As Potential Havens. – philly-archives
https://web.archive.org/web/20150623010211/http://articles.philly.com/1999-04-19/news/25521158_1_bunkers-enver-hoxha-tirana
Bunkers of Albania – Atlas Obscura
https://www.atlasobscura.com/places/2220
1946年1月にエンヴェル・ホッジャを首班として成立したアルバニア人民共和国は共産主義を掲げた一方で、1961年にスターリン批判を行ったソビエト連邦を「修正主義」と批判。また、1968年にはソビエト連邦を盟主とするワルシャワ条約機構を脱退し、当時ソビエト連邦と対立していた中国による援助のもと、ソビエト連邦を仮想敵国とする極端な軍事政策を進めました。
また、1967年には中国の文化大革命にならって「国家無神論」を宣言したアルバニアは、国民による一切の宗教活動を禁止。さらに海外旅行などを厳しく取り締まったアルバニアは国民による反対意見やデモ活動を防止するため秘密警察を出動させることもありました。
こうした強硬政策を執るアルバニアは、ソビエト連邦の同盟国やNATO諸国からの侵略を恐れていました。アルバニアでは国民全員に行き渡る量の武器を保有することを目標とした国民皆兵政策を掲げたほか、1970年代からは敵国からの数百万人にのぼる軍隊の侵略を食い止めるためのコンクリート製のトーチカの建造を開始。ホッジャ氏の在任中、ビーチや公園、墓地などあらゆる場所に建造されたトーチカの数は75万以上とされています。また、核戦争に備えた核シェルターも一部建造されました。
アルバニアは中国を同盟国と位置付けていましたが、中国は1978年に国家主席に就任した鄧小平のもとで改革開放路線に転換。これに対しホッジャ氏が中国を厳しく批判したことで、中国はアルバニアとの貿易関係を断絶し、中国による援助が打ち切られることとなりました。
加えて、1980年代にホッジャ氏はルーマニアや北朝鮮など他の共産主義国家を批判し「アルバニアは世界唯一のマルクス・レーニン主義国家」と宣言し、国際的に孤立。その後、1985年にホッジャ氏は死去し、後継者のラミズ・アリア氏のもとでアルバニアは1990年代から徐々に開放路線への転化を開始しました。
そのため、時代の流れとともにトーチカは不要となりました。トーチカの撤去費用は1基あたり約800ユーロ(約12万円)で済みますが、アルバニア国内にはトーチカが数十万基あり、すべてを撤去するには膨大な費用がかかります。鎖国政策を執っていた1980年代に「東欧の最貧国」と呼ばれるまでに至ったアルバニアには、トーチカを撤去する余裕はありませんでした。現代ではアルバニアの経済状況も回復しつつあり、一部のトーチカは撤去されましたが、それでも多くのトーチカが現代でもアルバニア各地に残されています。
なお、現代では残されたトーチカはホームレスの人々のためのシェルターや、カフェ、倉庫として再利用されているそうです。
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