by Jacques-Louis David
2026年4月、エジプトのオクシリンコスという遺跡から見つかったミイラの腹部から、古代ギリシアの叙事詩「イーリアス」が記されたパピルスの断片が見つかりました。一体なぜエジプトのミイラからイーリアスが見つかったのかについて、ドイツのテュービンゲン大学で考古学を研究しているステファン・ブルム氏らが解説しています。
Egyptian mummy has part of the ‘Iliad’ in its abdomen, archaeologists discover | Live Science
https://www.livescience.com/archaeology/ancient-egyptians/egyptian-mummy-has-part-of-the-iliad-in-its-abdomen-archaeologists-discover
Why was an Egyptian mummy stuffed with a fragment of Homer’s Iliad?
https://theconversation.com/why-was-an-egyptian-mummy-stuffed-with-a-fragment-of-homers-iliad-282190
エジプトの首都・カイロの南南西に位置するオクシリンコスはエジプトの重要な都市として栄え、19世紀後半から20世紀初頭にかけて約50万点ものパピルスの断片が見つかっているとのこと。今回見つかったイーリアスが記されたパピルスは、エジプトがローマ帝国の属州となっていた約1600年前に作られたミイラの腹部から発見されました。ブルム氏らは、イーリアスが記されたパピルスがミイラの腹部から見つかった理由について知るには、イーリアスが持つ意味について理解する必要があると指摘しています。
イーリアスは紀元前8世紀末の詩人・ホメーロスが作ったとされる古代ギリシアの叙事詩であり、ギリシア神話に記されたトロイア戦争を題材としています。トロイア戦争は小アジアのトロイア(イリオス)とアカイア人の遠征軍による戦争であり、イーリアスはトロイアが戦争に敗れたところで終わります。
ところが後のローマの伝承では、滅亡したトロイアからアエネーアースという人物が親や子を連れて脱出し、地中海を渡ってイタリアへとたどり着き、ローマ人の祖先となったと伝えられています。この物語の続きはイーリアスの数世紀後に作られたものであり、最も有名なものが古代ローマの詩人・ウェルギリウスが作った「アエネーイス」です。
by Pompeo Batoni
アエネーイスの「トロイアから逃れた英雄・アエネーアースが放浪の末にイタリアへたどり着き、ローマ人の祖先になった」という物語は、トロイア戦争の意味を完全に変えてしまいました。ブルム氏らは、「言い換えれば、過去は時間と空間を超えて再構成され、拡張され、繋がることのできる物語を通して積極的に再編成されたのです」と述べています。
ローマ人にとって、イーリアスやアエネーイスは自らの起源やアイデンティティ、そして権力について考えるための手段となりました。「自分たちはトロイアの子孫なのだ」と主張することは単に家系をたどること以上の意味を持ち、ローマ人はこれらの叙事詩を語り継いでいきました。
教養あるエリート層はローマ帝国全土において、学校教育の一環としてイーリアスおよびその作者であるホメーロスについて学びました。そのためローマの元老院議員も、小アジアの教師も、エジプトの学生も皆がイーリアスについて語ったり、演説で詩を引用したり、その内容を検討したりすることができたとのこと。ブルム氏らは、「この詩(イーリアス)は共通の参照枠を作り出し、まったく異なる人々が共通の過去の中に自らを位置づけることを可能にしたのです」と述べています。
また、現代のトルコにあるトロイア遺跡は、ローマ帝国時代には多くの人々が訪れる観光地となりました。トロイア遺跡は複数の層に分かれており、最も新しい第9層はローマ帝国時代の紀元前85~紀元500年頃に建設された層です。ローマ皇帝たちはトロイア遺跡を観光地として開発し、2世紀頃には浴場や宿泊施設、劇場なども備えられていたとのこと。
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このようにローマ帝国全土においてイーリアスは生きたテキストとして流通し、写本が作られ、教材として用いられていました。これはローマ帝国の属州だった頃のエジプトも例外ではなく、日常生活の中の文学として深く根付いていました。ブルム氏らによるとイーリアスはギリシャ語を話すエリート層、特にミイラが見つかったオクシリンコスのような都市部で広く知られていたとのこと。
ローマ属州時代のミイラからイーリアスが記されたパピルスが見つかった件についての報道では、パピルスが故人の教育や文化的アイデンティティを反映したものではないかと示唆されていました。
しかしブルム氏らは、「最も説得力のある説明は最も単純なものかもしれません。廃棄されたり破損したりしたパピルスは、安価な材料として再利用される可能性があります。従ってこの断片はミイラの詰め物として機能していたのかもしれません。つまり、文学的な内容には特に注意が払われることなく、束ねて体の穴に挿入されたのでしょう」と指摘しています。
イーリアスの断片が使い捨ての詰め物として使われていたという事実は、イーリアスがどれほどエジプトの日常生活に浸透していたのかを示すものです。ブルム氏らは、「イーリアスは異なる過去をつなぎ合わせ、比較し、再構築できる世界を形成するのに一役買いました。地中海全域にわたる物語・場所・伝統を結びつけることで、ローマ世界は過去を柔軟な資源へと変えたのです。これは刻々と変化する状況下において、アイデンティティ・権威・帰属意識を生み出すものでした」と述べました。
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