アメリカのサンフランシスコにあるPreventiveは、OpenAIのサム・アルトマンCEOやCoinbaseのブライアン・アームストロングCEOといったテクノロジー業界の億万長者から支援を受けるスタートアップです。このPreventiveが、法律で禁止されている遺伝子編集ベビーの実現に向けた秘密プロジェクトを進めていると、ウォール・ストリート・ジャーナルが報じています。
Genetically Engineered Babies Are Banned. Tech Titans Are Trying to Make One Anyway. – WSJ
https://www.wsj.com/tech/biotech/genetically-engineered-babies-tech-billionaires-6779efc8
Preventiveは生物学上初の試みとなるプロジェクトをひっそりと進めてきました。Preventiveは遺伝性疾患を予防するために遺伝子編集された胚から子どもを誕生させることを目指しています。Preventiveの関係者から入手した情報によると、同社の幹部は非公式に「遺伝子疾患を抱える夫婦」から遺伝子編集ベビーに興味を示されたそうです。
記事作成時点では、出産後の治療に遺伝子編集技術が使用されており、これを用いて科学者はDNAを切断・編集・挿入することが可能です。しかし、精子・卵子・胚に遺伝子編集技術を応用することははるかに物議をかもしており、倫理的および科学的な問題が解決されるまでは、科学者の間で世界的に一時的に使用を停止することを求める声が上がっています。また、子どもを産むために胚の遺伝子を編集することは、アメリカをはじめとする複数の国で法律的に禁止、あるいは厳しく規制されています。
ウォール・ストリート・ジャーナルが独自に入手した文書によると、Preventiveはアラブ首長国連邦を含む、「胚の遺伝子編集が許可されている国」での実験を目論んでいるそうです。
しかし、「胚の遺伝子編集」はあまりにも予測不可能であるため、国民や政府の意見や議論を経ずに民間企業による人体実験が行われる新たな時代が到来しかねないと、一部の専門家は懸念しています。
遺伝子編集された胚から生まれた子どもの事例は、記事作成時点では1例しか報告されていません。2018年に、中国の科学者である賀建奎氏が、HIV免疫を持つよう遺伝子編集した胚から双子の女児を誕生させています。なお、賀氏は遺伝子編集ベビーを生み出したことで中国の法律に違反し、3年の懲役刑を宣告されました。賀氏は誕生した遺伝子編集ベビーの身元を公表していませんが、子どもたちは健康であると述べています。
中国の科学者が「ゲノム編集でHIV耐性を持つ双子の女児が誕生」と発表、倫理面や内容には強い疑問の見方も – GIGAZINE
遺伝子編集ベビーに関する技術の商業化を目指すスタートアップの数は増えており、Preventiveはその先駆けです。遺伝子編集ベビーに関する技術を開発するスタートアップの中には、胚の遺伝子編集に取り組む企業もあれば、遺伝子が形質に与える影響を検証する遺伝子スクリーニングツールを販売する企業もあります。
Preventiveは「最終的な目標は、遺伝性疾患がなく、病気に強い赤ちゃんを生むこと」であるとしていますが、遺伝子編集ベビーについて「子どもがより高いIQ、高い身長、特定の目の色などの優れた特徴を持つよう胚を遺伝子編集する」と主張する人もいます。
CoinbaseのアームストロングCEOは、胚の遺伝子編集技術を大々的に宣伝している億万長者のひとりです。アームストロングCEOが「胚の遺伝子編集により、心臓病になりにくく、コレステロール値が低く、骨粗しょう症を予防することができる骨が丈夫な子どもを生むことができる」と訴えていることを、同氏から胚の遺伝子編集計画について説明を受けたという関係者が証言しています。
アームストロングCEOは時々、シリコンバレーのエリートと遺伝子編集の専門家を集めてプライベートディナーを開催しているそうです。アームストロングCEOから計画を聞いたという人物によると、同氏は「科学界や医学界が異議を唱える前に遺伝子編集ベビーを発表し、世界に衝撃を与え、受け入れさせる」という非常に大胆な計画を練っているそうです。
Preventiveは胚の遺伝子編集技術を研究するために3000万ドル(約46億円)の投資を調達しています。この資金調達を発表する声明で、Preventiveは「広範な研究を通じて安全性が確立されない限り、ヒト臨床試験には進まない」と約束しました。
Preventiveのルーカス・ハリントンCEOは、同社が既に胚の遺伝子編集を行っているという疑惑を「全くの虚偽」であると否定。また、出産を試みる前に胚の遺伝子編集の安全性を証明するための研究に注力しているとして、「我々は物事を急ごうとしているわけではありません」と述べました。
また、ハリントンCEOは「アメリカ食品医薬品局(FDA)が胚の遺伝編集を含む人体実験を禁止している」として、Preventiveはアメリカ国外で事業を展開せざるを得ないと主張しています。
なお、ウォール・ストリート・ジャーナルがアームストロングCEOに対してコメントを求めたところ、同氏はX上に「Preventiveの投資家になれることを大変嬉しく思います!世界中で3億人以上の人々が遺伝性疾患を抱えて暮らしており、出生時にこれらの疾患を治療するための安全かつ効果的な治療法を開発できるかどうかを判断するため、基礎研究が行われるべきです。疾患の進行が起きる前に、胚のような細胞の数が少ない段階で修正することははるかに容易です」と投稿しました。
Excited to be an investor in Preventive!
More than 300 million people globally live with genetic disease. Foundational research should be done to determine if safe and effective therapies can be developed to cure these diseases at birth. It is far easier to correct a smaller… https://t.co/UOO5MOItOo
— Brian Armstrong (@brian_armstrong) November 6, 2025
アルトマンCEOのパートナーであるオリバー・ムルヘリン氏はアルトマンCEOと一緒にPreventiveへ投資していると言及しており、「人々が病気を予防するのに役立つ研究に関心があるので、Preventiveへの投資を選びました。サムは私のすべての仕事、そして私の活動の理念を支えてくれています 」とウォール・ストリート・ジャーナルに語りました。
一方、カリフォルニア大学バークレー校イノベーティブゲノミクス研究所のフョードル・ウルノフ所長は、「彼らは遺伝性疾患の研究をしているわけではありません。彼らはウソをついているか、妄想に陥っているか、あるいはその両方です。使い道の乏しい大金を武器に、『赤ちゃんの改良』に取り組んでいるのです」と述べ、Preventiveやその取り巻きを批判しています。
胚の遺伝子編集以外にも、遺伝子編集ベビーに関する技術を開発する企業は存在します。そのひとつが、受精卵からDNAを抽出し、それを統計アルゴリズムで分析し、子どもが持つ可能性のあるより幅広い特性や疾患の確率を算出する「多遺伝子スクリーニング」と呼ばれる技術です。
既に複数の企業が多遺伝子スクリーニングサービスを展開しており、アームストロングCEO以外にもベンチャーキャピタリストのピーター・ティール氏やRedditの共同設立者であるアレクシ・オハニアン氏などの投資家からの支援を受けています。
多遺伝子スクリーニングサービスを提供するOrchidとGenomic Predictionは病気のリスクを示し、HerasightとNucleus Genomicsは子どもの知能や身長といった特性に関する洞察を提供できると主張しています。サービス利用者はポータルサイトにログインすることで、自身の胎児がさまざまな疾患や形質において遺伝的にどのような状態にあるかを示すチャートやグラフを閲覧可能です。例えば、さまざまな検査の結果、胎児のIQが130と予測されるものの、統合失調症を発症する確率が1.5%ほどあり、兄弟姉妹よりも不安症を患う確率が14%高いなどの結果が示されるわけです。他にも、ADHD、双極性障害、糖尿病、男性型脱毛症などの発症率も表示することができます。
なお、この技術はFDAの規制対象ではないため、アメリカの研究所で開発された技術であることがアピールされています。
一方で、遺伝学者や遺伝カウンセラーの専門団体であるアメリカ臨床遺伝学ゲノミクス学会は、2024年に「多遺伝子スクリーニングには実証された臨床的メリットがない」という結論を下しました。同学会によると、多遺伝子スクリーニングで胎児に示唆された疾患リスクが成人期まで持続するかどうかは、まだ完全には解明されていないそうです。
これに対して、Orchid、Genomic Prediction、Herasight、Nucleus Genomicsの4社は自社の多遺伝子スクリーニングは妥当であり、子どもの将来の健康と特性に関する貴重な知見を提供するものであると主張しています。また、多遺伝子スクリーニングサービスを提供する企業の一部は、「多くの批判者がその根底にある科学を十分に理解しておらず、顧客は主に疾病の軽減に重点を置いている」と指摘しました。
マッキンゼー・アンド・カンパニーの市場調査によると、アメリカにおける体外受精市場は2023年の約35億ドル(約5400億円)から2028年には50億ドル(約7700億円)以上にまで成長すると予想されています。しかし、胚技術への投資収益率は依然として不透明なままです。
胚の遺伝子編集技術がどのように商業化されるのか、そしてどれだけの人がそれを利用できるのかはまだ不明です。FDAが初めて承認した成人向けの個別化遺伝子編集治療の定価は220万ドル(約3億4000万円)ですが、患者が実際にいくら支払うことになるのかはわかりません。
PreventiveのハリントンCEOは、2024年11月に個人ブログで胚の遺伝子編集の費用は最終的に2000ドル(約31万円)程度になる可能性があると言及しています。ハリントンCEOは「世代を超えて償却すると、この金額は無視できるほど小さくなります」と述べています。ハリントンCEOは鎌状赤血球症の患者が多いナイジェリアのように、同じ遺伝子疾患を持つカップルにとって特に有望な可能性があると言及しました。
ハリントンCEOはウォール・ストリート・ジャーナルに対し、この事例は世界中で多くのカップルが実子と遺伝性疾患について難しい選択に直面していることを示しており、臨床使用の出発点を示唆しているわけではないと語りました。
ハリントンCEOは、2020年にCRISPRに関する画期的な研究でノーベル賞を共同受賞したジェニファー・ダウドナ氏の研究室で博士号を取得した人物です。2人は遺伝子編集治療に特化した企業、Mammoth Biosciencesの共同創業者でもあります。
なお、Preventiveについてダウドナ氏は「CRISPR技術が重篤な遺伝病を予防的に安全に治療できるほど成熟しているかどうかを調査するために必要な、厳格な科学的基準と透明性をもたらしている」と語りました。
この記事のタイトルとURLをコピーする
この記事は役に立ちましたか?
もし参考になりましたら、下記のボタンで教えてください。





